真宗大谷派ー常行山ー願勝寺-能代-秋田
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願勝寺の歩み


概要

常行山 
願勝寺


本尊   阿弥陀如来

正衣の経典
      仏説無量寿経(大経)
      仏説観無量寿経(観経)
      仏説阿弥陀経(小経)

宗祖   親鸞聖人

宗祖の著書
      顕浄土真実教行証文類
      (教行信証)

宗派名  真宗大谷派

本山   真宗本廟(東本願寺)

所在地 京都市下京区烏丸七条
     上る常葉町754番地

住職   第二十世 下妻正規



歴史

 坂東下妻の仙慶の子孫の空賢が、永正二年(1505)、能代に草庵を構えたのに
はじまり、二世円喜が永禄六年(1563)に一宇を建立して、願勝寺として開創した。

 開創の円喜は、慶長九年(1604)、六郡の一向宗の拠点となっていた、久保田の
淨願寺と親交を深め、本願寺の東西分裂のとき、この寺を東本願寺派となした。江
戸時代には寺領二十石を拝領した。

 四世の円空の代に仏具類が整備されたといわれ、現在の本尊は、円空が京都で
入手した”こもかぶりの如来”として、当時の逸話が残されている。かつて、この寺に
は慶安二年(1648)に、大町の豪商越前谷初代久右衛門の妻が寄進した鐘楼堂と
梵鐘があって、幕末の異国船警備の大砲製造のため供出したが、辛うじて難をのが
れて一旦返却され、町の時鐘として昭和年代まで”鐘つきの寺”として親しまれてきた
が、太平洋戦争の金属回収で、遂に犠牲となってしまった。

 本堂は明治三十三年(1900)に火災となり、仮本堂から昭和三年に再建したが、
戦後昭和二十四年の能代大火で類焼し、同二十八年に移転し、本堂は四十四年に
建立した。日本海中部沖地震(昭和58年5月26日マグニチュード7.7)で、庫裡は
全壊し、復旧した。萩の台の西端に位置する。

 寺宝の本尊(像高1㍍程)は春日作の古仏で、ほかに兆殿司作と伝えられる達磨
大師画像、光明本(聖徳太子、蘇我馬子、小野妹子、法然、親鸞などを描く)、紺紙
金泥の六字名号などがある。


出典:『秋田のお寺』秋田魁新報社より





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